風魔小太郎 忍活録-三増合戦まつり2017-

武田信玄の小田原攻略失敗後の撤退戦『三増合戦』。
その戦没者の慰霊のために行われる三増合戦まつりに風魔小太郎役として参戦してきたでござる。

三増合戦まつり2017

今回お世話になったのは、甲冑劇SacTさんでござる。
SacTさんは三増合戦まつりだけでなく、神奈川を中心にいくつもの戦国系のお祭りで甲冑寸劇を披露している団体でござる。

お祭りが行われた三増合戦跡は、神奈川県愛甲郡愛川町にあり……まぁなんとものどかな場所にあるでござる。
小田急線本厚木駅や相模線橋本駅からバスも出ているようでござるが、その数も1時間に1本のレベルでござるので、要注意でござる。

しかし、この祭りは地元の方々に大変愛されているお祭りのようで、会場に近づくにつれて、無数ののぼり旗が風になびいていたでござる。
個人名の記載された旗も多く、胸が高鳴ったでござる。

地元の小学校・手作り甲冑体と共に、武者行列に加わり入場をすると大きな拍手で迎え入れられたでござる。
進行役を担う『隊長』(おそらくは武将的な話ではなく、手作り甲冑隊の隊長さんだと思うでござる。)による挨拶が行われたのでござるが、これがとても面白かったでござる。
非常に緩く、小さな声で時折入る小言がとてもユニークで愛すべき存在でござった。
お客様の反応も良く、良くある「早く話終わらないかな」といった空気が一切ござらなかった。

隊長の挨拶の後、鉄砲隊による射撃演舞があり、一度武者行列は退場。
寸劇までは自由時間となったでござる。

自由時間に、会場内を見て回ったでござるが、とにかく出店が安いでござる!
ふるさと祭り的なものらしく、おまつり価格という印象無く、出店の食べ物が提供されていたでござる。
中でも注目なのが、『合戦鍋』と呼ばれる大鍋で作られ、無料で提供される ほうとう入り豚汁みたいな鍋でござる。
人参・大根・南瓜・玉ねぎ・豚肉・うどんの入った鍋でなかなかのボリュームでござった。

ちなみに寸劇は、北条氏照を大将とした北條軍と浅利右馬之助信種を主力に置いた武田軍との戦を表現したものでござった。
両軍の出陣式からの合戦、大石遠江の捕縛、北条綱成による浅利右馬之助信種の撃破、山県昌景の突撃による逆転の一連をズバッとダイジェストでお届けしたでござる。

合戦はスポンジ槍を使い、『頭を狙わない、籠手・脚絆など鎧で護られた部位はノーダメージ、有効打を喰らったら、膝をつき5秒ほど戦線離脱』というルールのもと、ガチの打ち合いでござった。

……え?拙者忍び装束でござるけど!!紙装甲でござるよ!!

まぁ、実際にやってみると、甲冑の重みによる制限と、装束の身軽さが相殺され中々に良いバランスに落ち着いていたのでござらぬだろうか?
無論、もっと大規模な集団戦闘となれば、逃げ場少なく、敵多く、軽装は不利になりそうでござる。

ともかく、スポーツチャンバラっぽさもあり中々楽しかったでござる。
終演後、会場内ですれ違った方々からも「面白かった」「良かったよ」との声も多くいただけたので、本当に良かったでござる。

今回は初参加ながら、他の参加者の皆様とても気さくな方々であり、とても安心して参加することができたでござる。

また機会があれば一緒に戦いたいでござる!!

卍 三増合戦まつり2017参加武将紹介 卍

【北條軍参戦武将】

卍 北條氏照

北條氏康の三男にして、後の八王子城の城主。
外交手腕にも秀でており、人望も厚い。
山県昌景の急襲により撤退を余儀なくされ、敗戦を恥じ一度は自害しようとするも、師岡山城をはじめ部下に止められ思いとどまり、天下を覇する将となることを誓う。

卍 師岡山城

北條氏照の重臣。
常に北條氏照の傍に控え、滝山衆を指揮する。
氏照の自刃を思いとどまらせた。

卍 大石遠江

戦場において一際輝いていた武辺者。
信玄によりその才を認められ、捕縛され甲斐へ連れ去られた。

卍 北條綱成

勇猛で知られる北條家の闘将。
地黄八幡として隣国にも知られ、恐れられている。
赤備えの中核を担い、武田の左翼大将の浅利右馬之助信種を打ち取る。

卍 風魔小太郎

北條家に仕える忍びの頭領。
北條家の先鋒として敵兵の拿捕、情報収集を行い。
合戦においては遊撃隊として戦場を攪乱した。

【武田軍参戦武将】

卍 武田信玄

武田家の当主にして名将の名を欲しいままにする男。
三増峠にて布陣する北條軍の動きを見抜き、これを迎え撃った。

卍 山県昌景

赤備えの名と共に隣国に名を知られ、畏怖される武将。
三増合戦では信玄の指示により、志田峠を越えて北條軍の横腹をつき、一気に北條軍を瓦解させた。

卍 浅利右馬之助信種

赤備えの中核を担い、武田軍の左翼大将を務める武将。
北條軍の猛攻を良く防ぐも、綱成の銃撃により負傷、その命を散らす。

卍 曽根昌世

奥近習六人衆の一人で、昌幸と並び信玄の両目と称される武将。
浅利隊の軍監として信種を補佐し、信種戦死後は浅利隊の指揮を引き継ぎ奮戦した。

卍 武藤喜兵衛昌幸

曽根昌世と共に信玄の両目と称される、奥近習六人衆の一人であり、後の真田昌幸。
三増合戦では一番槍をはじめとした武功を立てた。

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